2015年3月6日金曜日

アンナ・カレーニナ


すべての幸福な家庭は互いに似ている。

不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。

(レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ 『アンナ・カレーニナ』より)


幸福な家庭とはどういうものだろうか。
思うに家庭には「落ち着く場所」であることが最も求められ、それさえ満たされていれば差しあたりOKではないだろうか。
ささやかでも当たり前なことが満たされ、「落ち着ける場」として機能している家庭に対し、それ以上の何を求めようか。

不幸な家庭が多様に見える理由は、私達がそれらを隅々まで見るからである。
どうすればああならずに済むか、自分のうちと比べてどうか、防衛本能に命じられて注意深く目を走らせたため、自ずと様々な点が目に入るのだ。

すべての幸福な家庭は互いに似ている。
それ以上の細かいところを見る必要がないから。
不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。
それぞれの仕方をちゃんと見たから。

幸福はムードに、不幸は事実の細部に宿る。
本来それらは同じ次元で扱うべきではない。
敢えてそれらを対比させた冒頭の言葉は、いたずらに人の不安や悲観を誘う、意地の悪いものだ。


家庭のことに限らず、ベーシックな幸福にはいつも同じことが言えるのではないだろうか。
何かと比べたりせず細かいところについて考えもしない、「何気なく」こちらの求めに応じているものこそが、いつも幸せをつくっている気がする。

「幸福とは何か」と敢えて考え始めた時、私はきっと疲れている。
そんな時はクヨクヨ考えるのをやめて、自分の感覚に委ねたい。

おそらく全ての幸福は互いに似ている。


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