2014年3月31日月曜日

瞑想のステージ


うつ病等~悟りの境地までは、「神経活動の整い方」を軸に直線上に位置づけられると思っている。

・神経活動が不調・・・・うつ病など
    ↓
・神経活動が正常
    ↓
・神経活動がさらに簡素化・・・・悟りの境地


神経活動を整える方法はヴィパッサナー瞑想であるので、うつを改善する方法も悟りを得るための方法も、ともにヴィパッサナー瞑想ということになる。

ただし注意すべきことは、自分がいるステージによってやれる手法は異なるということだ。
比較的楽に取り組めるものと、エネルギーを多く必要とするものがある。
うつ病を患う人などは手法によっては疲労しすぎるものもあるので無理はせず、それでも落ち着くのを待って他の手法(→参照)を試したい。

いずれのやり方も効果はあるので、瞑想自体は投げ出さないようにすべきである。



2014年3月27日木曜日

瞑想における、雑念の扱い


ヴィパッサナー瞑想では、マハシ式とゴエンカ式がメジャーだろう。
ゴエンカ式は10日間の合宿が有名で、マハシ式はラベリングや日常的に実践できる小さいコツをいろいろ開発しているところが特徴な気がする。

どちらの方式でもよいので、とにかく長く続けること。
1人1人の内面がそもそも多様なため、どちらがより効果的とは言い難いように思う。
辛抱づよく長く取り組めば、どちらでもよい効果が得られるだろう。


雑念と身体の絡み


心の赴くままに瞑想していると、様々な「雑念」が浮かんでくるものだ。
これらを消そうと考え過ぎずに、その内容からそっと意識を離し、身体の感覚に注意を移すのが良いと思う。
このくり返しが身体から心へと繋がる歪みを整えていく。
多層的・縦横に形成された心の構造が、少しずつ変わるので焦らないことだ。

ポイントは、雑念をいきなり締め出そうとしないこと。
むしろ一旦はその雑念を認識することによって、その雑念が立ち上がっている土台に作用を与えることができる。
雑念には心の奥の状態が反映されている。
その雑念を入り口にして心の内部にアクセスするわけである。


雑念の最中、身体に意識をうつす


瞑想を続けて思うのは、本来人間は、何をしているときも常に全身を内側から感じているのが良いだろう、ということだ。
ところが実際は、どこか疲れたり痛みだしたりしてはじめて、その箇所に注目するくらいではないだろうか。
責務に追われたり、人の目を気にしたりと、だいたいの時間において意識が外へ向いてしまっている。
「自分の身体感覚」が滅多に顧みられないのだ。


この「身体感覚の無視」こそが、精神の歪みを生む根源だと思う。
そしてさらに、経験的にはその「無視された身体感覚」を再起し、感じなおしてやると、歪みは修復される。
メカニズムは分からないが、経験からの実感である。

その再起する作業において、「雑念」が重要な役割を果たす。
雑念に身体感覚を重ねると、その雑念のルーツ周辺にある構造が改善されるのである。
それぞれの雑念をたどると、その根っこにはほぼ必ず、解消すべき鬱屈・歪曲した構造がある。


極めて感覚的な話になってしまうわけだが、以上がヴィパッサナー瞑想の仕組みだと私は理解している。



2014年3月19日水曜日

心の修復


ヴィパッサナー瞑想とは、自律神経の伝達の歪みを修正する作業だと思う。
(歪む原因・直し方については過去の投稿参照)

歩いていたら転んでケガをしたとしよう。
ケガには小さなものと大きいものとがある。
小さなケガなら自然の治癒力に任せておけばいい。
大きいケガなら、手術などが必要だろう。

心も同じ。
小さいケガと大きいケガがあり、小さいものは自然治癒力に任せておいていい。
「時間が解決してくれる」というやつだ。
しかし、大きいケガにはやはり手術が必要なのである。

心の手術は、独特である。
患部や症状に注目するのではない。
「ケガしたときの行動を正しくやり直す」のである。
上の例を用いれば、「あわてて歩いて転んだ道を、正しい歩き方で歩き直す」のだ。
患部がどのように病んでいるのか、その症状はあまり気にする必要がない。

「好きなことで気晴らしをする」や「安静にする」というだけでは不十分である。
それらは無論、不可欠だ。
しかしあくまで悪化させないための策の領域は出ず「修復」にはならないことが多い。

「修復」を直接的におこなう方法が「瞑想」である。





2014年3月10日月曜日

雑念


ヴィパッサナー瞑想というのは、雑念が生まれにくい「体質」を作ることが出来る点が特徴だろう。
今ある雑念を減らすだけの効果にとどまらないということだ。

雑念は、消そうと念じれば消せるものではない。
それは雑念に雑念をぶつけただけの行為だ。
雑念を雑念で消そうとするようなものだ。

感受と同化し「空」や「無」に専心すればある程度の雑念は消せるだろう。
瞑想や座禅全般で得られる効果だ。
ただしこれは、基本的に一過性の部分の話。


ヴィパッサナー瞑想はそれらと少し異なる。
心の構造じたいを改善し、雑念が出にくい体質に変えていく。
これはこの瞑想が「身体感覚」に積極的に関わる体系をもつからで、そもそもこの身体感覚というものが心の構造を固定する接着剤のような役割を担うことに関連していると思っている。


雑念は、身体感覚に注目すると上手く消える。
同時に、その身体感覚と結びついていた心の癖も解消されていく。

ヴィパッサナー瞑想のことを、単に雑念を締め出すものと思っている人もいるようだ。
しかしその特徴的なやり方には、相応の意味があるのである。





2014年3月1日土曜日

瞑想の恩恵


● 自分が変われる(成長できる)

● まわりの人が誠実だと感じる


これら2つが満たされれば、社会生活のストレスの大半が片づくと言っていいだろう。
ヴィパッサナー瞑想ではこれら2つの向上・改善が可能である。


執着の少ないおだやかな性格に変わることによって、以下の変化がある。
① 後悔や自己嫌悪の原因になるような行動が減り、自分が好きになる
② 心が効率的になるので、もろもろの能力の速さと正確性が増す
③ 心が効率的になるので、疲れにくくなり持続力が増す
④ 性格が素直になり、まわりの人の良いところに目がいくようになる
⑤ まわりの人の不誠実な言動に触れても引きずらなくなる


これらについて、やり方を掴めば必ず良い結果が得られるだろう。

そして、少し変われたのならもっと変われるはず、と気持ちに弾みがついていく。
これが何より重要だ。
人間は、望む究極のかたちが手に入らなくても、少しずつでも改善が感じられればずっと頑張っていける。
つまり大切なのは「希望」であり、それさえ手に入れば、問題はほとんど去ったようなものである。