2014年7月25日金曜日

長引く「うつ」 ~性格との関連~


もともと鬱っぽい性格だと、うつ病の治療に手こずる。


私のことである。

うつ病になって9年が経とうとしている。
今現在「ひどく苦しい」といった印象ではないが、長いといえば長い。

自分のうつが長引いた要因は、主に以下が挙げられると思う。
① 仕事を休まなかった
② もともとの性格との関連
③ うつ病初期に、自分に活(かつ)を入れようとムチャをした


もともとの性格との関連


「うつ病が長引きやすい性格」というのがあるそうだが、自らの実感もふまえてその通りだろうと思う。
健康的な思考パターンを知っており、かつそれが記憶に新しい場合ならばうつ病を治すには有利であろう。帰るべきまっとうな場所が近くにあるイメージだ。
反対に、健康的思考から長く遠ざかっている、もしくは元からほぼ知らないような場合(← 私)は、言うまでも無く不利である。
慣れ親しんだネガティブ思考が、治療のジャマになる。

私見では後者のタイプは「元と同じ形」に治ることはないと思う。
帰るべき(?)元の場所は、発病をきっかけに病との境界を失ってゆるやかに同化し、私は、一度離れたのちにそこへ舞い戻ることはできなかった。


こうした場合、もとのベースを何とか生かしつつ人生観をリニューアルすることになる。
私はそこに年月をとられたわけだが、早くから瞑想を用いれば効率よく進められたはずだ。
むやみに焦らず、あくまで瞑想と並行するなかで自然な人生観が形成されるのを待つのが理想だ。


これは簡単な作業でない。ある種の犠牲も必要だ。
だが私は、元の自分に戻りたいわけでもなかった。
それはそれで、ロクでもないものだからだ。
だから私は、人生観を「いい歳して」立て直す作業を、苦々しい気持ちだけで歩んだわけではなかった。
盲目だった私にも遂に進むべき道がハッキリ見えたし、自分の人生と向き合う誇りのようなものを手に入れることができた。

瞑想をもっと早くに知ればいろいろ違っただろうが、時代のせいもあったろうと思う。
今からやれることに感謝して取り組むのみである。

「正しい瞑想」と「正しい人生観」の両輪は、相乗効果で広範囲に心身の修復をする。
焦らず、しかし諦めず、の歩みが大切である。





2014年7月18日金曜日

瞑想と眼球運動



「眼球を動かしながら」のヴィパッサナー瞑想が、調子よい。
先日の記事でふれたトラウマ治療法『EMDR』について考えながら、なんとなく試していたのだ。


「意識」は、視覚情報の集合体である。
「気持ち」は、視覚情報と身体が絡む時の感触である。
「性格」は、各人の、視覚情報の分別ルールである。


そうやって、われわれはいつも画(え)ばかり見ている。




2014年7月11日金曜日

読書感想『あなたを天才にするスマートノート』

岡田斗司夫  (文藝春秋 2011)


前表紙



発想力・論理的思考・表現力などを伸ばすためのノート使いについて書かれている。

「ノウハウ本」の類を手に取ることは少ないけれども(嫌いでないのだが、読むと疲れるので)、これは愛読している。

本書の「思想」が好きである。

社会に出てからは、いろいろな情報に手を出さずに自分がその時々、本当に気になることだけ合点がいくまで学ぶのが最良だと思っている。
「量より質」ならぬ、「量より質と縁」。
私のその感覚にもこの本は合致したように思う。

義務感から離れ、ワクワク感を充足させる。
それによる自己の安定。
そんな「わが道に帰る」感じが良かった。

「ノートの右ページと左ページで内容を分けて」云々…といった技術的なところより、一番は著者の考えを述べた部分がしっくりきた。

(以下引用⇓)

ノートによる思考法は基本的に『農業』です。
「効率よく知的なアウトプットを増やす」という工業的な発想ではありません。そんなやり方では一時的にアウトプットが増えたように見えても、あなたの脳内はやせ細り枯渇してしまいます。
脳を効率よく使うことを考えてはいけない。
脳はもっと、肥沃な大地として実りを願う場です。

(引用おわり)

著者の個性は好みが分かれやすいのかも知れないが、これはとてもまっとうな本だと思う。




だいたい1周年

当ブログが1周年を過ぎていたことに気づいた。
ささやかながら、1年続いたことは嬉しい。

うつ病と瞑想について書くつもりだったが、関係ない事もけっこう書いている。
重い話ばかりも考えものだし、書く人間の姿がある程度伝わるのも良いことかもしれない。


瞑想について、根拠を示せないことも意義を感じれば恥を忍んで書いている。
勇気がいることではあるが、一体験者として感じるままを率直に(なるべくは客観性を保ちつつ)書くことを大切にしたい。
あらゆる状況・段階に当てはまりはしないと思う。
参考になれば幸いである。

実体験から得たこと・役立つと思うことを、
なるべく分かりやすく、
週に1回は書く(金曜)、

を目標に、楽しみながら続けたい。



2014年7月4日金曜日

なぜ自殺していけないか


「なぜ自殺してはいけないか」というテーマに対して、さまざまな答え方がある。
していけない根拠を厳密・端的に説くことは不可能なのかもしれない。
すべきでない理由を熱意をもって論じることだけができる。

① 命は絶対的に尊いのでダメ
② 自殺は自分を「殺す」=殺人のようなもの、その罪によりダメ
③ 周りの人が悲しむからダメ
④ せっかくの人生が勿体ないからダメ
⑤ 自殺すると地獄に行き、もっと苦しむのでダメ
……
 
↑この辺りがメジャーだろうか。
私は「④人生が勿体ないからダメ」派だ。


①~③は、元気な人間の思考に基づくものだと思う。
人間が「死にたい」と思う時は本来の感性や判断力は弱まっているので、①~③に対しては結局、「頭では分かるけど、悪いが知ったこっちゃない」となる。
本人が感じ取る豊かさや損失よりも「周り」や「道義」への配慮を優先させようというそれらは、余裕をもって生きている人間ならではの、言わば「達観」したものだ。

死にたくなる原因は結局、「生きていて楽しくないから」である。
ここで言う「楽しい」は、お祭りさわぎやワクワクドキドキのそれのみでなく、「苦しくない状態」から「静かな満足感」や「誇らしさ」なども含む。
そうした根本的な何気ない「楽しい」「楽しくない」がありきで、その他の理由は後から付け加えられるものではないだろうか。
自殺しない人間は、その理由を言葉で確認しているのではなく、だいたい「まあ楽しかったりするからそのまま生きている」だけだ。

もし人生を楽しくできるならば、自殺は勿体ない。
(私は④派である。)

実際、世の中では皆がそれぞれの価値観で満足を見出して生きている。
生きるために必要なものに「絶対」というのはない。
すべては、ちょっとした「感じ方」「価値観」の問題だ。
少しの「感じ方」を変えるところから始めてストレスの管理方法さえ身についてくれば、人間、自然に何らかの楽しみを見つけていく。
生命力はそのように強くできている。

『ストレスの多くは瞑想で緩和できる』ことを知ってから、私は一貫して④派である。
瞑想で物事の感じ方を変えられるという事実は、きわめて大きな希望だ。


自殺してはならない理由。
それが明確に存在しないとする結論付けのある意味における正しさは、この世の中において誰の何の役にも立たない。
何事によらず時々ある「冷徹なだけでまったく世の中を良くしない考え方」、こういうのは迷わず無視で良いだろう。
この命題においては尚更だ。


(なお⑤は地獄が存在するという前提が個人的には唐突で入りづらいが、忠告として親身である点で少し誠実に感じられ、①~③よりも好きである。)