2014年8月29日金曜日

瞑想にツッコミ 3


瞑想では「今ここ」に注目する。

目の前の世界は全て「今ここ」にあるが、目の前のコップをずっと観察しても何も起こらない。
注目の先は、コップではなく「自分の心身」に向けられねばならない。

そうすることによって、自分に何をさせるのか。

他者の視線や思考を意識しながら肉体を力ませることを自分にさせないことが肝要なのである。
この習慣を停止しないかぎり、心の歪みが累積される。
そうならないために、意識を外へ移すことなく、自分の内側に留めなければならない。
(⇨関連の記事

「今ここ」に注目するのは、「今ここにしか真実が存在しないから」ではない。
その心掛けによって身体感覚の誤った使い方を回避できるから、そうすべきなのだ。


瞑想へのツッコミ1でふれた「過去や自分のことについてただ悶々とする」ことは、部分的に自らを観察することではあるが、「自らの肉体を感じる」ことが抜けている点において、「瞑想的な観察」としては不十分なのである。



2014年8月22日金曜日

瞑想にツッコミ 2


ヴィパッサナー瞑想の大きな特徴、
①「“今ここ”に意識をまとめる」
②「身体感覚に注目する」
のうち、②の必要性の説明が不十分であることが問題である。
これがモヤモヤを生む。


「雑念から距離をおけるから良い」
「雑念の起こりを察知できるので良い」
というのは①の必要性を説くだけのもので、「余計なことを考えない」ことの効用を述べただけにとどまっている。
これだけでは
「雑念から距離を置いて美しい風景などをイメージしてはダメなのか」と思うし、
「雑念の起こりの察してやめるのは、単なる気合い勝負ではないか」という不信感も生じてしまう。


なぜ②の身体感覚への注目が必要なのか、それは

心は“身体感覚”によって成形・固定されており、
したがって心の歪みも“身体感覚”の操作で修正する

という原則があるからだ。


もう少し続く


2014年8月15日金曜日

瞑想にツッコミ 1


私が愛用して止まないヴィパッサナー、マインドフルネス系の瞑想。
愛用して止まない……されどその周辺には、ツッコミどころが確かにある。

基本的にその仕組みの説明は、下記の組み合わせでなされる。

1)人間は、心配や後悔など「今ここにないもの」を思考(妄想)して苦しむ
2)心の苦しみは、必ず何らかの身体感覚として表れる
3)思考と身体感覚の「ありのまま」を観察することで、自分の実体としての成り立ちが理解される
4)「今ここ」についてのの観察により
 ①思考(妄想)から距離を置くことになる
 ②苦の原因たる妄想の起こりを察知できるので、暴走を予防しやすくなる
5)仏教的に1~4は、人間が「無明(無知)」を解消し真実を把握するプロセスである
6)瞑想後に脳波、血流量、神経伝達物質、遺伝子…などが改善したデータあり


以上の説明は、それなりに分かり易い一方で引っかかるところもある。 
こだわりすぎも良くないのかも知れないがきちんと理解できているに越したことはない。

瞑想の知名度が向上する一方、その仕組みの解説は長年変わり映えがない。
問題は、モヤモヤを残したまま解決済みであるかのように扱われていることだ。


疑問

モヤモヤの例を思いつくままに挙げてみると、

【仕組み・やり方について】
① 思考(妄想)から距離を置く為に例えば「山々の風景」などをイメージしてはダメか
② 思考(妄想)の起こりを察知して暴走を予防するというのは、つまり気力頼みでないか
③ 自己のありのままを「観察」すると心の歪みが解消されることについて、例えば自分が怒りっぽいことをいつも反省しているような場合、その意味において少しは観察していることになろうが、その観察によって少しでも解消されているとも思えない。「観察」すると収まる、とはどういうことか

【その他】
④ もろもろの科学的データが、「どの程度の変化だったか」が不明。つまり「他の方法よりも改善が早いか」や「他の方法で治せないことも治せるか」などが分からない。結果、「気分がよくなる程度ではないのか」という疑念が生じ得る。
⑤ 「メカニズムについては考えないほうがいい」とよく言われる。「瞑想の最中には忘れるよう努めるのでとりあえず教えてよ」と言いたくなる


すべき整理

結論としてモヤモヤをすべて解消するのは難しいと思う(残念ながら)。
なので私は一定の整理をしてとらえている。
大した整理ではないが、長くなってきたので次回につづく


2014年8月8日金曜日

野田サトル『ゴールデンカムイ』 



ついに……ついに!!……野田サトル先生の新連載ッッ!!

『ゴールデンカムイ』

再来週8月21日㈭のヤングジャンプより連載スタート!!!



前作『スピナマラダ!』の終了から、この日を心待ちにしてきた
良かったぁー……涙


2014年8月1日金曜日

夏の風物詩 


子供のころ、「怪奇特集 あなたの知らない世界」というのをTVでやっていた。
心霊ドラマがメインの昼から30分ほどの企画で、夏には1~2週間ほど毎日やっていたように思う。

番組に寄せられた「視聴者の体験談」に基づいたドラマを、あまり見かけない俳優陣(失礼)が独特の空気感で演じていた。
大の大人たちが霊に追いつめれていく様に、私は「人力がまったく通じぬ霊こそ最強」「狙われたら最後」と戦慄を覚えながら、田舎のおばあちゃん家のトイレに一人で行けなくなる、風呂場で背後の気配と格闘したくなる、などの深刻なリスクを引きうけながら、欠かさずチェックしたものだ。


思い返すと、かつてのそんな番組が培った「悪いことをすると呪われる」という思いはけっこう長いあいだ私の心にあり、今なお潜在的に、ある種の力を有しているように思う。


近年、そうした心霊番組は減ってしまった。
これは「殺人など残酷な部分が教育上よくない」「怖くてトラウマになった」「科学的根拠もないものを勝手に作るな」…etcの意見・クレームを制作側が配慮して、自主規制しているためというが、私はそうした番組が持っていた良い面も失われた気がしている。

“祟(たた)り”にまつわる物語は、古来から日本において道徳教育を補完する役目を担ったのではないだろうか。
『貞子』以降の過剰にモンスター化したものでない、身の回りの普通の人の想いとして立ち現れる霊の悲しみの姿を通して、思いやりの心が育った面もあったのではないか。
無宗教な今の日本こそ、幽霊が活躍すべき場かもしれないと思ったりする。