2013年11月8日金曜日
瞑想と筋トレ
ヴィパッサナー瞑想をすると心の病気が治ったり、性格が良くなったりするのはなぜか。
それは単純である。
病気になった時や性格が悪くなった時と逆の現象を身体に起こすからだ。
スポーツや音楽に触れたらうつ病が治った、人との出会いで性格が明るくなった、などのケースと、起こることの本質は同じ。
そういったときに生じるメカニズムを単独で意図的に起こすのが、ヴィパッサナー瞑想である。
スポーツや音楽があらゆる箇所を修復するとは限らないので、網羅的に心身を探る。
柔道家などが脱臼した骨を自力で『はめる』ように、神経の働きが歪んだ箇所を自力で戻していくのだ。
しかしながらヴィパッサナー瞑想は何とも似ていないため、言葉で説明されてもなかなか腑に落ちないと思う。
人間と言うのはすでに知っている情報から類推するしかないので、
「雑念を一時的に気合で締め出しているだけではないか」
「いまここ、が重要なことくらい分かる」
「宗教懸かっていて、真剣にやる気がしない」
「観察すると苦が減るというのは飛躍に感じられる」
などの疑問が生じるのは自然だと思う。
けれども残念ながら、瞑想の仕組みについて生理的な説明を尽くすことはやはり今のところ難しいのではないだろうか。
私の場合は、これを筋トレと同じようなものに位置づけている。
筋トレしたことのない子供に、「重いものを持って腕を曲げ伸ばしすると腕が太くなって力も強くなるらしいけど、なんで?」と訊かれたら、うまく答えられるだろうか。
私達は、筋肉じたいが太くなる様を知らないし、だいたい筋肉そのものを観察したこともない。
脂肪が燃えるとは?筋繊維の何が太くなるのか?
さらに、腕力が強くなるということの説明になると、なお難しい。
ほとんどの人が「とにかくこうやると、こうなるのさ。」としか言えないはずだ。
しかしそうした医学的な理解のあいまいさと対照的に、「負荷を感じなければ効かない」など、筋肉を鍛える「正しいやり方」についてはよく知って納得している。
この理由は、「自分でやったことがある」し、「みんなの常識だと思っている」からだ。
筋トレは「体験」され、「信用」を獲得している。
私にとってヴィパッサナー瞑想は筋トレと同様だ、「分からないところはあるが、信じている」。
私個人の内では「体験」が強力に信憑性を示し、「信用」を確立した。
この瞑想が、必要とする人のためにもっと広く深く、世の中に根づくことを願っている。
どうすればその日が早く来るか、ひとり妄想(瞑想ならぬ)してしまうのである。
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