2013年11月22日金曜日

瞑想の役割を考える 2


瞑想で「悟りを得る」必要はなく、「健康」を手に入れれば十分、そう言ったのが前回だ。
ならば瞑想は病人だけがすればいいものかと言うと、そうではない。
みんな、誰もがすべきものだと思う。
人が不健康になりにくい「世の中」を作るためにである。


人が不健康になる世の中である。

―自分より幸運な者がねたましい―
―自分だけ損をするのは絶対いやだ―

そんな貧しい風潮が世間を覆い、ともすれば建設的な議論よりもストレスのはけ口探しが優先される。
日常のいたるところに不健康の種が潜み、もはや世間は何が正しくないかを見分ける力さえ失ったように見える。
自らの心を健康にしてくれるものを支持し、そうでないものを手放すセンス、それは今の日本に最も欠けているものの一つではないだろうか。

「心」の健康にとって必要なものを知り、それに基づいた行動を皆が自然にとれるようになることに、瞑想は役立つだろう。
瞑想を通して社会は「心」についての理解を深めることができる。


いつの時代も世の中は不平等で、未来は不明瞭だ。
誰にとってもそうだ。

だからこそ、望まれるのは常に前向きでいられることだ。
みんながそんな風にいられる世の中を目指さなければならない。
超越などしていなくても、いやむしろ限界だらけでも、それでも伸び伸びと努力できる環境を作りだすこと。
それこそが最もハイレベルだと言える。

そんな境地に到ることができたら、人間は少しばかり胸を張ってもよいと思う。
あくまで自然に自分らしさ(=人間らしさ)を高めたことになるのだから。



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