2013年11月12日火曜日

瞑想の役割を考える 1


悟らなくていい


ヴィパッサナー瞑想を本気で訓練すれば、いわゆる「悟り」に達することが可能だろう。
だが私は人間に「悟り」が必要だとは思わない。

人間は神様でも何でもない。
ほかの種を差し置いて、人間だけ特別な領域に到達すべき理由はない。
あたりまえの話であろう。

生き物であれば争いごとを完全に無くすのは困難だろうし、ここまで高度な知性を持てば、複雑な社会を形成しストレスに遭遇することも、言わば宿命的だろう。

性(さが)を無視しようとしても、その行為の多くは非効率である。
むしろそれを前提に据え、うまく周辺を整えるのが正しい。

不安定も、抑圧も、そこから生まれる物語も、芸術もすべて受け入れて、人間は「人間らしさ」を全うすればいいだけだ。
特別なことはしなくていい。


「健康」であれば十分


悟らなくていい。「健康」までで十分だ。そこまで瞑想は役立てられればいい。

そこからは「健全な生命力」を最大限に活かすだけである。



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