2014年4月2日水曜日

今ここ


ヴィパッサナー瞑想においては「今ここ」が強調されるが、これにこだわるあまり妄想を排除しようとし過ぎてはいけない。

「今ここ」を生きることは、まったくもって正しい。
そう知ることは重要であるし、それを最終目標にすべきでもある。

ただし、「今ここ」と同化できるのは、かなり修行が進んだ者である。
そういう人は軽い意思で雑念を排することができる。
それが長い間あたりまえになっているため、ベテランの方などが「雑念が生じないように観察し続けよ」と何気なく言ってしまうことがある。

そう言われたら、初心者などは「よし、雑念を締め出そう」と考えてしまうのが普通だ。
しかし上級者が感じることをそのまま伝えて、それが初心者にとって役立つとは限らない。

瞑想中に雑念が浮かんだら、雑念が生じたという事実を認識することが必要だ。
「雑念を認識する→それとの接し方を正す」というプロセスのすべてが重要なのである。
前回も述べたが、妄想をいま排除することが目的ではなく、妄想の起こりに正しく応じることで、その出どころを矯正することが目的だからだ。

ヴィパッサナー瞑想のコツが掴めてくれば、雑念は結果的に減っていく。
あくまで、結果的に、である。


たしかに瞑想しながら雑念にあまりにも振り回されるのは良くない。
その状況で何か自分に言い聞かせるとしたら、「今ここ」よりも「今ここの身体」が良いだろう。




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