2014年3月27日木曜日

瞑想における、雑念の扱い


ヴィパッサナー瞑想では、マハシ式とゴエンカ式がメジャーだろう。
ゴエンカ式は10日間の合宿が有名で、マハシ式はラベリングや日常的に実践できる小さいコツをいろいろ開発しているところが特徴な気がする。

どちらの方式でもよいので、とにかく長く続けること。
1人1人の内面がそもそも多様なため、どちらがより効果的とは言い難いように思う。
辛抱づよく長く取り組めば、どちらでもよい効果が得られるだろう。


雑念と身体の絡み


心の赴くままに瞑想していると、様々な「雑念」が浮かんでくるものだ。
これらを消そうと考え過ぎずに、その内容からそっと意識を離し、身体の感覚に注意を移すのが良いと思う。
このくり返しが身体から心へと繋がる歪みを整えていく。
多層的・縦横に形成された心の構造が、少しずつ変わるので焦らないことだ。

ポイントは、雑念をいきなり締め出そうとしないこと。
むしろ一旦はその雑念を認識することによって、その雑念が立ち上がっている土台に作用を与えることができる。
雑念には心の奥の状態が反映されている。
その雑念を入り口にして心の内部にアクセスするわけである。


雑念の最中、身体に意識をうつす


瞑想を続けて思うのは、本来人間は、何をしているときも常に全身を内側から感じているのが良いだろう、ということだ。
ところが実際は、どこか疲れたり痛みだしたりしてはじめて、その箇所に注目するくらいではないだろうか。
責務に追われたり、人の目を気にしたりと、だいたいの時間において意識が外へ向いてしまっている。
「自分の身体感覚」が滅多に顧みられないのだ。


この「身体感覚の無視」こそが、精神の歪みを生む根源だと思う。
そしてさらに、経験的にはその「無視された身体感覚」を再起し、感じなおしてやると、歪みは修復される。
メカニズムは分からないが、経験からの実感である。

その再起する作業において、「雑念」が重要な役割を果たす。
雑念に身体感覚を重ねると、その雑念のルーツ周辺にある構造が改善されるのである。
それぞれの雑念をたどると、その根っこにはほぼ必ず、解消すべき鬱屈・歪曲した構造がある。


極めて感覚的な話になってしまうわけだが、以上がヴィパッサナー瞑想の仕組みだと私は理解している。



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