レオ・バボータ (Discover21 2009/8/5)

だと思っている。
「性格を変える」という点が最大の特徴だ。
瞑想している時だけ気分が良くなるというものではない。
「分かっちゃいるけどやめられない」というように、習慣化された感じ方・考え方などいわゆる”性分”を変えることは、些細なことであってもきわめて困難だ。
「気をつけ続ける」ことはできるが、実質的に「変える」のはなかなか上手くいかないものだ。
しかし、世の中には(私もそうだが)性格を何とかしないと「生活に差し支える」場合というのが実際にある。
そういう人は、ぜひこの瞑想を試すべきだ。
一過性の「気休め」でなく、直接的に心の整備に取り組める稀有な方法だと思う。
「うつ病」を始め、有効な治療法がないと言われてきた「境界性人格障害」などに対しても、この瞑想に関連する療法のエビデンス(有効性の証拠)が確認されているという。
また、病気とまでは言えない「性格の悩み」に対しても、効果を発揮するだろう。
仏教がルーツにあるが、技術的には独立したものなので教義などと直接は関係なく実践できる。
瞑想というとどこか「得体の知れないもの」というイメージがつきまとう。
しかし、「生きているのがつらい」人間を実質的かつ健全に救うものであるなら、それが子供が考案したものや歴史が浅いもの、さらに瞑想よりも突飛な何かであっても、私は構わない。
「生きづらい」人が一人でも減ることが私の心からの願いである。
今日も、仕事の合間にヴィパッサナー瞑想をした。
私の仕事はデスクワークだが、それでも身体のあちこちに負荷がかかり、それに抵抗して力んでいる。
身体を支える上腕 机に接するヒジ
上体を支える腰や背中 椅子に接した尻 曲がった足指
キーボー上で下に向けたままの手首 頭を支える首
噛みしめられた顎 眼筋
探せばたくさんあると思う。
これらの箇所を「使っているという実感」なく使い続けると、私は体調を崩す。
業務では、どうしても「早く済ませたい」「きちんと仕上げたい」などの気持ちが先行し意識が外へ向きがちである。
自分の身体感覚をかえりみないまま長時間過ごすと、気づいた時には心身が苦しくなっている。
ずっとマインドフルなまま仕事するのが理想だが、それはなかなか難しい。
なので、休憩を小まめに挟んで頻繁に修正するよう心がけている。
身体のどの部分に、どのような角度でどんな感触の力がかかっていたか、どんな疲労が刻まれたか、
そう再確認するように意識を向けていると、しだいに心と身体がスッキリする。
日常の中でおこなう小さな瞑想は、私の生活に欠かせない。