2014年7月4日金曜日

なぜ自殺していけないか


「なぜ自殺してはいけないか」というテーマに対して、さまざまな答え方がある。
していけない根拠を厳密・端的に説くことは不可能なのかもしれない。
すべきでない理由を熱意をもって論じることだけができる。

① 命は絶対的に尊いのでダメ
② 自殺は自分を「殺す」=殺人のようなもの、その罪によりダメ
③ 周りの人が悲しむからダメ
④ せっかくの人生が勿体ないからダメ
⑤ 自殺すると地獄に行き、もっと苦しむのでダメ
……
 
↑この辺りがメジャーだろうか。
私は「④人生が勿体ないからダメ」派だ。


①~③は、元気な人間の思考に基づくものだと思う。
人間が「死にたい」と思う時は本来の感性や判断力は弱まっているので、①~③に対しては結局、「頭では分かるけど、悪いが知ったこっちゃない」となる。
本人が感じ取る豊かさや損失よりも「周り」や「道義」への配慮を優先させようというそれらは、余裕をもって生きている人間ならではの、言わば「達観」したものだ。

死にたくなる原因は結局、「生きていて楽しくないから」である。
ここで言う「楽しい」は、お祭りさわぎやワクワクドキドキのそれのみでなく、「苦しくない状態」から「静かな満足感」や「誇らしさ」なども含む。
そうした根本的な何気ない「楽しい」「楽しくない」がありきで、その他の理由は後から付け加えられるものではないだろうか。
自殺しない人間は、その理由を言葉で確認しているのではなく、だいたい「まあ楽しかったりするからそのまま生きている」だけだ。

もし人生を楽しくできるならば、自殺は勿体ない。
(私は④派である。)

実際、世の中では皆がそれぞれの価値観で満足を見出して生きている。
生きるために必要なものに「絶対」というのはない。
すべては、ちょっとした「感じ方」「価値観」の問題だ。
少しの「感じ方」を変えるところから始めてストレスの管理方法さえ身についてくれば、人間、自然に何らかの楽しみを見つけていく。
生命力はそのように強くできている。

『ストレスの多くは瞑想で緩和できる』ことを知ってから、私は一貫して④派である。
瞑想で物事の感じ方を変えられるという事実は、きわめて大きな希望だ。


自殺してはならない理由。
それが明確に存在しないとする結論付けのある意味における正しさは、この世の中において誰の何の役にも立たない。
何事によらず時々ある「冷徹なだけでまったく世の中を良くしない考え方」、こういうのは迷わず無視で良いだろう。
この命題においては尚更だ。


(なお⑤は地獄が存在するという前提が個人的には唐突で入りづらいが、忠告として親身である点で少し誠実に感じられ、①~③よりも好きである。)



2 件のコメント:

  1. 匿名7/04/2014

    私はヴィパッサナー瞑想を初めて一ケ月ほどの初心者です。自殺は自分や環境に対する怒りから来ているように思います。瞑想による気づきで、自殺する人が一人でも少なくなるといいですね。
    私はうつ病の経験はないのですが、いつも漠然とした苦しさを感じていて、それがヴィパッサナー瞑想に出会って少しずつ軽くなっていると実感しています。white-greyさんのおっしゃるように、もっとたくさんの人がヴィパッサナー瞑想の恩恵を受けられるといいなと思います。

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  2. コメントありがとうございます。
    なるほど、怒り……たしかに、いろいろなことが思うようにいかず、その落胆・失望感が膨張したとき、飛躍的な行動をイメージしてしまうのかもしれませんね
    良くないことに対して怒れる分別は大切にしつつ、それに振り回されたり一喜一憂したりない心が一番よいですね
    漠然とした苦しさ、私もよく分かります。うつ病になる以前から、もともと悩みが多い性格でしたので。
    これから更に軽くなっていくといいですね。

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