2013年12月19日木曜日

釈迦


お釈迦さまの最大の業績は、悟りを得る方法を体系化したことだろう。

その偉業を支えたのは、執念とも言える「妥協しない姿勢」だ。
安易な発散に走ったり、小さな疑問をうやむやにしたり、思いつきをゴリ押ししたり、そういうことを釈迦はしなかった。
つまりゴマ化さなかったのだ。
真に腑に落ちる結論に達するまで、自分の心と身体の声に耳を傾けつづけた。


科学的思考に慣れた現代のわれわれの耳には、仏教の話はどうしても多くの部分が非日常的に聞こえてしまう。
しかし釈迦が本来示したのは言うまでもなくスピリチュアルな話題などでなく、きわめて実践的で、徹底的に現実に即した技術だった。

だから私は思うのである。
仮に釈迦が今日まで生きていたら、教義を違うかたちに変えたのではないだろうか。


解剖学や生理学などが発展し、神経に電気活動があることが証明されたのは、19世紀のことだという。
釈迦には、先入観も、「仏教」へのこだわりさえ無いだろう。
必要な知見を取り入れ、教義を少しでも明解なものにすることをどこまでも押し進めたはずだ。

釈迦の教えに固執することは釈迦の願いから逆に遠ざかることになりはしないだろうか。
釈迦は誰よりも人の世について真剣に考えた人間なのである。




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