2014年9月26日金曜日

うつ病下での仕事


1日当たり10個の仕事をこなせていた者が、「うつ病」になって能力が20%に低下したとする。

そこから「10個すべてを20%しか仕上げない」はNG。
「2個だけ100%やり、残り8個は見もしない」が良い。

10個すべてが未完成な気がかりとして残るのが危険である。
2個は片付く方がマシだ。
残りの8個には元々必要がないことが含まれてたりもする。



うつ病下では何かの技術論などに凝るべきではないが、上記のような心の管理に役立つコツは多少持ち併せたい。

「弱った心を守る」生活ならではの、独特の流儀がある。



2014年9月19日金曜日

瞑想あるある


瞑想が上手くいく最中、手足や腰などに

“ジワーっと湯のようなものが流れ込んでくる”


ような感触があることがある。
「ぼんやり温まる」のではなくて、温度のちがうものが流入してくる感じ。


電流だろうか?




2014年9月12日金曜日

寝る瞑想


マハシ式のヴィパッサナー瞑想の基本に、「座る瞑想」「立つ瞑想」「歩く瞑想」というのがある。
「寝る瞑想」はない。
横たわる姿勢は、ゆったりできるものの、たしかに問題あるように感じる。
身体のたくさんの箇所に「力がかかる」のだ。

仰向けでは、床や枕に接する背中・腰・かかと・後頭部・首
・うつ伏せでは、床にあたる胸・腕などに加えて、首・顔(アゴ)などの横へひねる箇所
・横向きでは、下になった肩など体重がかかる箇所や、そこに繋がり曲がる首の付け根

寝る姿勢は、休まるところも多いものの身体のあちこちに力がかかる。
いたわるつもりが逆に歪みを複雑化してしまうこともあるということだ。
「横になるのは短時間にする」「眠気がかなり高まるまで横にならない」のが正解のように思う。


本来はどこにも力が入らないのが望ましい。のだ
身体を立て、背骨のまっすぐ上に頭が乗っているのがベストだ。

傾かない、支えない、引っ張らない、力を溜めない。
自然にバランスをとった、「立つ」や「座る」姿勢が、やはり最も瞑想的であるように思う。



2014年9月5日金曜日

ビルケンシュトック


独のサンダル「ビルケンシュトック」を履くと足の平が痛い。


歴史もあり支持もされているブランドであるが、履いた日は気持ちが沈むのだ。
足を鍛える機能をもつらしいソール。
それで痛むのか。
私の足は訓練が足りてないらしい。
結局手放してしまった。

ストレスのない着衣が理想だ。
ネクタイなどは最もダメである。



2014年8月29日金曜日

瞑想にツッコミ 3


瞑想では「今ここ」に注目する。

目の前の世界は全て「今ここ」にあるが、目の前のコップをずっと観察しても何も起こらない。
注目の先は、コップではなく「自分の心身」に向けられねばならない。

そうすることによって、自分に何をさせるのか。

他者の視線や思考を意識しながら肉体を力ませることを自分にさせないことが肝要なのである。
この習慣を停止しないかぎり、心の歪みが累積される。
そうならないために、意識を外へ移すことなく、自分の内側に留めなければならない。
(⇨関連の記事

「今ここ」に注目するのは、「今ここにしか真実が存在しないから」ではない。
その心掛けによって身体感覚の誤った使い方を回避できるから、そうすべきなのだ。


瞑想へのツッコミ1でふれた「過去や自分のことについてただ悶々とする」ことは、部分的に自らを観察することではあるが、「自らの肉体を感じる」ことが抜けている点において、「瞑想的な観察」としては不十分なのである。



2014年8月22日金曜日

瞑想にツッコミ 2


ヴィパッサナー瞑想の大きな特徴、
①「“今ここ”に意識をまとめる」
②「身体感覚に注目する」
のうち、②の必要性の説明が不十分であることが問題である。
これがモヤモヤを生む。


「雑念から距離をおけるから良い」
「雑念の起こりを察知できるので良い」
というのは①の必要性を説くだけのもので、「余計なことを考えない」ことの効用を述べただけにとどまっている。
これだけでは
「雑念から距離を置いて美しい風景などをイメージしてはダメなのか」と思うし、
「雑念の起こりの察してやめるのは、単なる気合い勝負ではないか」という不信感も生じてしまう。


なぜ②の身体感覚への注目が必要なのか、それは

心は“身体感覚”によって成形・固定されており、
したがって心の歪みも“身体感覚”の操作で修正する

という原則があるからだ。


もう少し続く


2014年8月15日金曜日

瞑想にツッコミ 1


私が愛用して止まないヴィパッサナー、マインドフルネス系の瞑想。
愛用して止まない……されどその周辺には、ツッコミどころが確かにある。

基本的にその仕組みの説明は、下記の組み合わせでなされる。

1)人間は、心配や後悔など「今ここにないもの」を思考(妄想)して苦しむ
2)心の苦しみは、必ず何らかの身体感覚として表れる
3)思考と身体感覚の「ありのまま」を観察することで、自分の実体としての成り立ちが理解される
4)「今ここ」についてのの観察により
 ①思考(妄想)から距離を置くことになる
 ②苦の原因たる妄想の起こりを察知できるので、暴走を予防しやすくなる
5)仏教的に1~4は、人間が「無明(無知)」を解消し真実を把握するプロセスである
6)瞑想後に脳波、血流量、神経伝達物質、遺伝子…などが改善したデータあり


以上の説明は、それなりに分かり易い一方で引っかかるところもある。 
こだわりすぎも良くないのかも知れないがきちんと理解できているに越したことはない。

瞑想の知名度が向上する一方、その仕組みの解説は長年変わり映えがない。
問題は、モヤモヤを残したまま解決済みであるかのように扱われていることだ。


疑問

モヤモヤの例を思いつくままに挙げてみると、

【仕組み・やり方について】
① 思考(妄想)から距離を置く為に例えば「山々の風景」などをイメージしてはダメか
② 思考(妄想)の起こりを察知して暴走を予防するというのは、つまり気力頼みでないか
③ 自己のありのままを「観察」すると心の歪みが解消されることについて、例えば自分が怒りっぽいことをいつも反省しているような場合、その意味において少しは観察していることになろうが、その観察によって少しでも解消されているとも思えない。「観察」すると収まる、とはどういうことか

【その他】
④ もろもろの科学的データが、「どの程度の変化だったか」が不明。つまり「他の方法よりも改善が早いか」や「他の方法で治せないことも治せるか」などが分からない。結果、「気分がよくなる程度ではないのか」という疑念が生じ得る。
⑤ 「メカニズムについては考えないほうがいい」とよく言われる。「瞑想の最中には忘れるよう努めるのでとりあえず教えてよ」と言いたくなる


すべき整理

結論としてモヤモヤをすべて解消するのは難しいと思う(残念ながら)。
なので私は一定の整理をしてとらえている。
大した整理ではないが、長くなってきたので次回につづく